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――― Barbara ―――

 

バーバラ・レイノルズさんとの出逢い

Barbara Reynolds(1915〜1990)


 

 

私は18歳の頃 バーバラさんに出会いました。

 

 

バーバラさんは、原爆障害調査委員会(ABCC)研究員の夫、アール・レイノルズ氏に同行して、

戦後間もない広島を訪れました。

日本に来た当初、裕福で高名な科学者の夫人である彼女は、

原爆を投下された広島の惨状を知らされる事もなく、お茶会などに行って、幸せに暮らしていたそうです。

 


 

しかしある時、バーバラさんは原爆の恐ろしさを目の当たりにすることになります。

調査委員会が被爆者の治療行為も行っていたため、被爆した女性と接する機会があったのです。

その女性は、背中に大きなケロイドがあるににもかかわらず、

バーバラさんに「ありがとう」と言ったのでした。

 

原爆を落としたアメリカ。そのアメリカから来た私に、この人はありがとうと言った―――

バーバラさんはその時、自分の国がした事を心から悔やんだそうです。

 


 

その後、バーバラさんは夫に真珠を買ってもらう代わりに、クルーザーを買ってもらいました。

そのクルーザーを「フェニックス(不死鳥)号」と名付け、世界中を巡り、原爆の恐ろしさを訴えました。

「ノーモア・ヒロシマ」と言い続けながら・・・・・。

 

1965年「ヒロシマの世界への窓口」として「ワールド・フレンドシップ・センター」を創設。

1969年に帰国した後、1975年に

オハイオ州ウイルミントン大学に「広島・長崎記念資料館」を開設しました。

そして亡くなるまで、つつましい生活を送りながら、被爆者のみならず

ボートピープルなどあらゆる犠牲者を救うために精力的に活動し続けました。

 


 

バーバラさんの半生を描いた新聞記事を読んで私はとても感銘を受け、お手紙を出しました。

それがバーバラさんとの出会いでした。

バーバラさんは、広島・長崎記念資料館のあるウイルミントン大学で勉強できるよう、

私をアメリカに連れて行ってくださいました。

 

「どうしてご自分の国を責めるのですか?」と私は尋ねた事があります。

「アメリカを愛しているからです。私の国に二度と過ちを犯してほしくないからです。」

と バーバラさんはおっしゃいました。

何の御恩返しもできないまま、バーバラさんは他界されました。

 


 

「あなたが正しい方向へ向かっている時は、神様が味方してくださいます。

だから知恵を絞ってより良い方法を考えるのですよ。もっと頑張りなさい。」

 

頑張っても駄目だった時、こう言ってはげまして下さいました。

今でも時折、このことばが聞こえてきます。